自己紹介兼ねて!!

自己紹介兼ねて!!

小松原学です!!
今回今まで出会ったサッカー仲間のおかげで、みんなの力のおかげでこのようなHPを作り始めることができました。



ありがとうございます!!


元々指導者の道には行く気持ちは全く無かったのです。
柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師を取得し地域のスポーツ選手や特にサッカー選手達の怪我を未然に防げたら治療できたらと思っていました。




 

サッカー界からも消えるように携帯から何から何までゼロにして学業に励みました、プロ選手っていうのを忘れるくらい忘れたいのかな、ひたすら勉強しました、移動時、バイト中、目に見えるところに作った紙をはって勉強、バイトと寝る間も惜しんで働き勉強しましたね〜。

サッカーを4歳か5歳で始め全日本少年サッカー大会に出ると決め励んだ小学生、小2の時プロになると家を飛び出し高学年の練習に参加、Jリーグが出来きベルマーレかジュビロに入るなど書いてあったタイムカプセルの紙、群馬県の大会ほとんど優勝、関東選抜などなど思ったことは20歳くらいまで全て叶いました。

15歳から世代別日本代表にも飛び級で選んでもらい、17歳で史上最年少Jリーグ出場(当時)などエリートの道を進ませて頂きましたがある日から歯車が狂い始めた記憶があります。

天狗になってたのもあると思います。スパイクもお世話になってたアシックスさんから急遽ナイキと契約、スパイクのポイントが歯形になりグリップ力も上がり良かったですがこれが大きなミスだったかもしれません。
ある日のJリーグの試合でゴールしテンションも上がってるなかタックルを左足に喰らいました、逃げることができず逆にポイントが芝に食い込みもろに左足の中足骨に入ってしまい試合後スパイク脱いだらその場所だけぷくっと腫れてました。
チームドクターから次の日、念の為レントゲンを撮ろうと。
翌日行き問題ないねと安心し練習に参加しましたが違和感が取れず色々な治療をしましたが痛みが取れず増すばかり、スパイクもグリップが強いので痛くバランスが徐々に崩れついに右足の腓骨筋腱脱臼、、、、



右足を3箇所切り金具が入りました。ここからさらに最悪でしたね、代理人やパーソナルトレーナーを付けたことでチームからも信用失い、怪我が完治ぜず移籍、移籍後も金具の影響で足首の可動が制限されてる中ゴールし次の試合で疲労骨折。

トドメの最後は蹴られて以前から痛めてた近くを負傷しレントゲンを撮ったら以前問題ないと言われたたところが折れていてドクターもびっくり、その時正直終わったと思うのと痛みの原因がわかってホッとしたの覚えてます。


結局結論はもう折れて偽関節になってるのでバッきり行くかまでやるしかないと言われ諦めプレーしたら2週間後に練習中、着地時に相手の足を踏んでゲームオーバーに。


もうサッカーは正直諦めようと思う部分もありましたが代表時代にお世話になったドクターに最後託しました。
両足手術に骨移植、麻酔が覚めた時はもう何もする気が起きなくサッカーを自分から失われた気分と諦めしかなかったですが動画にあるように沢山の方々に救ってもらい今があります。


動画には出てないですが手術をして1年リハビリをしてまたプロに復帰しました。

当時はJFL(今で言うJ3ですね)で復帰し2年頑張りました。JFLデビュー戦はヘディングとオーバーヘッドで得点し群馬のホームではハットトリック、群馬の新聞に大きく掲載され嬉しかったですね。
でも心の中はモヤモヤ、ベルマーレへの気持ちが強くありました。
実はその年ベルマーレからオファーがあり行きましたが契約まで至らずまたJFLのチームに戻りもうこれでプロ終わりにしようと決意し数試合悔いの無いように覚悟を決め望みました、毎試合ゴールもするし、あと数試合しかできないと思うと昔のような気持ちが蘇り、抑えていた感情が湧き出てきて昔の気持ちを取り戻せたと感じがありプロとして終えることが出来ました。

その後も助っ人で誘われ群馬県社会人1部などでて沢山ゴールさせてもらい良く相手から怒られてました。




話を戻しますが実は当時の診断ミスのレントゲンを取り寄せ本当だったのか授業でもみんなで見ました。
あの日、しっかり診てもらってれば、、。
学生時代に見ても明らかにジョーンズ骨折でした。


なんだか話がまとまらないですが色々な経験ができて今があります!!
無駄はなかった、自分にとって必要な経験、試練だったと今は感謝し前に進んでいます!!



長々とまとまらない話をありがとうございました!!